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末期食道がんの父が終末医療の為に再入院。最後の症状と言葉

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看護師さん
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この頁は末期食道がんの父が終末医療の為に再入院する前後の様子と症状を記載しました。

 

父の体力はかなり落ち、かかりつけの病院への通院も難しくなってきました。

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末期食道がんの父が終末医療の為に再入院する前日の言葉とは

父はその後もしばらくの間、自力でホームドクターのY医院へ通いながら、流動食をもらって食事の代りに飲んでいたのですが、いよいよ流動食も十分な量が喉を通らなくなりました。

 

体重も一段と落ち、毎日の点滴が必要になったために、以前に検査入院をした基幹病院であるCH病院へ再入院することになりました。

 

今回の入院は、治療の為の入院ではなく終末医療のための入院です。

 

末期食道がんの父が終末医療の為に再入院する前と入院後のたった二言の弱音

入院前日のことだったらしいです。

 

女房に先立たれ、独り身となったの父が自分で肌着や洗面道具などを整えて入院準備を終えた時です。

 

「これからどうなってしまうんだろう?」と父が私の妻に聞くともなく発したということを、私は父の入院後に妻から聞いて知りました。

 

その時、妻は何も応える事ができなかったそうです。

 

 

この事は、私も私の妻も今でも忘れることができません。

 

父の闘病生活中で始めて聞いた弱音でした。よほど、不安だったのだと思います。

 

入院して点滴が始まり、2~3日で顔色も少し良くなった気がしました。

 

しかし、しばらくすると、父の全身の様態が坂道を転げ落ちる小石のように加速度的に悪くなっていきました。見舞いに行った私に(身体が)「しんどいわぇ」と言うのです。

 

以前のように身体が楽になるサプリメントを飲ませる事もできません。

 

私は何をしてやることもできず、せいぜい、父の身体をなでたり、さすったりすることが関の山でした。

 

長いがんの闘病期間に父の発した弱音は、「しんどいわぇ」と「これからどうなってしまうんだろう?」という二言だけがでしたが、「しんどいわぇ」という訴えは私が父から直接聞いた言葉だけに骨身にこたえました。

 

そして、数日後に食道がんが大きくなったために、声が出なくなり、話ができなくなったのです。

 

 

そんな状況でも父は看護婦さんに下の世話をしてもらうでもなく、自力で歩いてトイレへ行っていました。

 

当時、私は父の様子を診るために毎日、病院に通っていたのですが、ある日、看護士さんが「今日、始めてお父さんが吸引機でタンを取らせてくださいました」と、嬉しそうに話してくださった事を覚えています。

父の容態が急変

その話を聞いた日の、日付が変わった真夜中の事です。

 

午前2時半頃に電話が鳴りました。

 

イヤな予感がしたので電話をとるとCH病院から「直ぐに病院に来てください!」と。

 

父の病室に駆けつけると、「看護師が巡回で発見した時には、心臓も呼吸も停止していましたが、心臓マッサージをしたら再び動き出しました」という先生のお話でした。

 

ベッドの脇の人工呼吸器がシュー、シューと大きな音を発して動き、それに呼応して、布団の上からもハッキリわかるほど父の胸が上下に動いています。

 

見ているあいだに顔色も少しずつ良くなり、まるで眠っているかのようでした。

 

その夜以降、父の自発呼吸は戻らず、一週間後に永眠したのです。

 

死の直前まで、父は人様になるべく迷惑をかけない、サムライのような生き様を私や家族に見せてくれたのでした。

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末期食道がんの父が終末医療の為に再入院。最後の症状と言葉のまとめ

流動食さえ満足に摂れなくなった父は、点滴を受けるために再入院をしました。

 

入院前日の「これからどうなってしまうんだろう?」という言葉と、入院中に(身体が)「しんどいわぇ」と言った、たった二言が長かった父の闘病期間中に聞いた弱音でした。

 

死の直前まで、父はまるでサムライのような生き様を私と家族に見せてくれたのでした。 マサミ

 

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