父の食道がんがステージ4、余命3ヶ月と健康診断で発見された
この頁では、父がやっと病院で検査を受けてくれてステージ4の末期食道がんが発見されたいきさつの体験談を書きます。
父の食道がんの初期症状は食事中にトンカツが食道に詰まることから始まりました。
そして、徐々に食事を詰まらせる症状が頻繁に起きるようになってきたのです。
それでも父は、頑固に病院へ検査を受けに行ってくれませんでした。
もくじ
食事が食道に詰まることが多くなり、食事を中座して自室にこもる事も
父が食事を喉の奥に詰まらせて、むせ返るたびに、私たち家族は病院で検査をしてもらうように勧めるのですが、なかなか病院に行こうとしません。
もう、父が意固地になっていたとしか思えません。(検査して重篤な病が発見される事を恐れていたのかもしれません)
私の妻は、義父の為に喉を通りやすい献立をいろいろと考えて作り、少しでも不快な思いをさせないように頑張ってくれるのですが、場合によっては一度の食事中に2~3回も詰まることが珍しくなくなりました。
父も私の妻の期待に応えるかのように、食事が喉につかえる度に洗面所へ立ち、何とか食事をのみ込んだり、戻したりしながら頑張って食べるように努力してくれていました。
しかし、本当に体調の悪い時には食事を中断して自室にこもってしまうようになったのです。
末期の食道がん(ステージ4)が検診で発見される
年が明けて父の誕生日が近づき、市から成人病検診の案内が届きました。(以前は生活習慣病ではなく、成人病と言っていました)
母を亡くした寂しさからか、父は自分の一日分の仕事が終わると、未だ日のある時間帯にもかかわらず家族の目を盗んでお酒を飲むことが日常化していました。
最近はポケットウイスキーを買ってきて、自室でストレートのまま飲んでいるようでした。
そこで渋る父になんとか検診を受けてもらいたく成人病検診の案内を見ていると、幸いにも父のかかりつけ病院のY医院が市の指定病院になっているではありませんか!
私が「最近、お酒の量が増えたようだから、成人病検診で肝臓を調べてもらおう」と言ったら父もやっと検診を受ける事を承諾してくれました。
私は検査前にY院長に会っていただき、食事が度々詰まる事や、お酒を手放せない状態で血糖値が気になる事等を伝えておきました。
父にステージ4、末期の食道がんが見つかり余命3ヶ月と知らされる
忘れもしません。父が成人病検診を受けてしばらく経った3月16日の朝でした。
未だ病院の診察が始まる時間でもないのに、Y先生から電話が入りました。
そして、「お父さんは今、電話の近くにみえますか?」と確認して、父が近くにいないことを確かめてから「がんだと思います」と一言。
父ががん!?どこのがん?肝臓がん!?と様々な思いが頭の中で錯綜しました。
私は父に内緒でY医院へ飛んで行き、レントゲンを見せてもらいながら説明を受けました。
Y先生は「末期の食道がんで、何もしなければ余命は3ヶ月ぐらいでしょう」と告げられました。
父にはがんと知らせぬまま再検査を行う事に・・・
その場で先生と相談して、父にがんの事はとりあえず話さないことにしました。(今から30年近く前は、がん患者にがん告知をする事は、今ほど一般的ではありませんでした。まして末期がんともなればなおさらです。)
でも、早々に大きな病院でしっかり検査して何か対策を講じなければなりません。
とりあえず、父には「食事でつかえたトンカツを無理に胃に押し込んだ時にできた傷がかさぶたになって食事が頻繁に詰まるようになった。大きな病院に入院をして検査してもらおう」と話すことにY先生と二人で決めました。
そしてY先生に検査入院の紹介状を書いていただいて帰りました。
早朝に降って湧いた父が末期食道がんというショックで、その日は仕事はもちろん、何もかもがうわの空でした。
父の食道がんがステージ4、余命3ヶ月と健康診断で発見されたのまとめ
父の食事が詰まる症状は嚥下作用の衰えと、(また、詰まるのではないかという脅迫観念による)精神的なものと考えていた節がありました。
肝臓や血糖値を心配して受けてもらった成人病検診でステージ4の食道がん、それも余命3ヶ月の末期状態で見つかるとは!もう、ショックでその日一日は、何も考えることができませんでした。 マサミ
【関連記事】
父の末期食道がん(ステージ4・8センチ大)が消滅した体験談のまとめ記事